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czwartek, 5 stycznia 2017

ポーランドのお正月と元日の習慣

ポーランドのお正月は楽しく賑やかな時だ。クリスマスは家族が決まって静かに祝って、逆にお正月は友達や恋人と一緒に過ごす時だ。クリスマスが終わると、皆がお正月のパーティーの準備を始める。

パーティーにキラキラしよう!✨
特別な「新年の服」(波蘭語で「kreacja sylwestrowa」って服)を探しや家の飾りつけや料理
http://www.milionkobiet.pl/moda/imprezowe-propozycje-new-look,11456,1,a.html
や冬休みの旅の計画だ。女達は皆、キラキラしてて、スターのように華麗なパーティーの衣裳を探しに行く。デーパトの店員が一番忙しい。男達もお正月用の特別な服を着なければならない。ポーランドではお正月とか結婚など「新しい生活の始まり」だ。その「新しい生活」を楽しくするために服を選ぶ。ルールは「新しい物」と「古い物」と「借りた物」を3つ着れば、一番の福が訪れるよ。「新しい物」は冨のシンボルだ。今年、高価な物が買えると、来年も又こんな高価な物が沢山買える感じだ。皆が金持ちの生活したいから。「古い物」が前年の一番良くて、嬉しくて、楽な時のシンボルだ。全年が悪くないから、このいい部分を残すために「古い物」が必要だ。「借りた物」が人々の優しさのシンボルだ。優しい人だけ立派な物を貸せるから、そんな人々だけ「新年の新しい生活」に会えば、いい。物を借りることが他の理由もある。ポーランド人民共和国(波蘭語で「Polska Republika Ludowa」って)にはいい商品があまりなかった。昔、商品がなくて、似合うジュエリーと靴とドレスを見つけにくかった。

喜ぼう!
他の習慣は「どんなお正月がきて、こんな新年になる」ってことわざにとって皆がお正月が一番嬉しくしたい。だから、全国では華々しいパーティーするよ。どこでも、12月31日は15時ぐらいから休みになって1月1日は休日だ。しかし、レストランとかホテルとか警察など12月3旬から1月2旬まで一番忙しい時だから、この時にポーランドへ来る人は気をつけてほしい。

🎇🎇🎇ポイント1!🎇🎇🎇
色々な人が早いお正月の遊びを始めたり、人が沢山旅したりするから、酔っ払い運転がよく起こる。
🎇🎇🎇ポイント2!🎇🎇🎇
ポーランド人が冬休みをとるから、どこでも混んでて、早い予約すればいいよ。

http://warsawnow.pl/sylwester-miejski-warszawa-2016-2017/
ワルシャワ市(Warszawa)やクラクフ市(Kraków)やヴロツロフ市(Wrocław)やザコパネ市(Zakopane)など無料のコンサートがある。毎年、ポーランド人と外国人の歌手が演奏してる。コンサートが無料だから、人が沢山いるよ。けれども、ほとんど12月・1月がめっちゃ寒いから、クラブやレストランや家にあるパーティーが大人気たよ!ポーランドのアパートで生活したい方は12月31日の夜がとてもうるさいので、びっくりしないで。普通に22時から波蘭語で「cisza nocna」って「夜の静けさ」ってルールだ。このルールにとって、誰かが夜遅くうるさいと、警察をよんでいい。けれども、お正月に朝まで隣さんがうるさくても警察があまり来ない。警察がとても忙しくて、これは十分な理由じゃない。皆がうるさいからね。ポーランド人は音楽が大きいボリュームで聞いたり、酔っ払い人が歌ったり、大きい声で話したり、ダンスしたり、午後12時に花火が上がったりする。

🎇🎇🎇ポイント3!🎇🎇🎇
ポーランドには花火大会がなくて、お正月のようなイベントに花火が多い。ポーランド人が店で花火を買えて、自分で花火を上げれる。だから、救急医療と消防隊も忙しいよ!
🎇🎇🎇ポイント4!🎇🎇🎇
ポーランドのアパートに住んでる人が言わないルールがある。壁は日本のアパートより薄くないから、隣さんがあまり聞こえない。けれども、うるさいパーティーしたいと、うるささを警告していい。警告された隣さんが準備できて警察をよばない。だから、隣さんもうるさいと、私も何もしない。
http://www.rapp.pl/warszawa/17-wyjazdy/79-sylwester-z-rappem-skusisz-sie
来年の希望はどう?
日本人達は前年の漢字を書いたり、来年の希望を書いたりするね。ポーランド人は日本人のようにリストに来年の希望を書く。ポーランド人は意志があまり強くないから、毎年、ほとんど同じリストだ。希望の中には一番よく決まったのは「今年やせるよ!」とか「今年ダイエットするよ」とか「今年運動するよ」だ。けど、ポーランドには怠け者が沢山いるか、皆が美味しい食べ物が好きだから、こんな希望をよく捨てる。

他のポーランドの習慣は紙に前年の悪い思い出を書いてから、紙を燃やす。こんな紙を燃やしたら、不幸が訪れないね。

大掃除はだめ!
日本人はお正月の前に大掃除するね。ポーランドには大掃除がクリスマスの前にしなきゃならない。だから、ポーランドは逆にお正月に掃除が絶対にだめだ。クリスマス途中で家の中に気が良くなって、お正月で掃除をしたら、このいい気がなくなれるね。

💖💖💖永遠の愛💖💖💖
最後の習慣が一番楽しいと思う。ポーランド人は独身がいなくて、恋人と一緒にお正月に行って、花火を見ながら、午後12時にキスして、永遠の愛になるよ!お正月の12時はシンデレラの昔話のような不思議な時だから。

środa, 14 września 2016

ポーランドのユダヤ人の歴史の博物館

昔、博物館の所はユダヤ人の地区が中央だ。そこにもJudenratの建物があった。博物館でポーランド人とユダヤ人が一緒に暮らした千年間の歴史について習えてもらう。ナチスはワルシャワ・ゲットーの蜂起を抑えて、そこでGęsiówka(日:ゲンシュフカ)と言う強制収容所を作った。だからそこに今、博物館がある。
壁にある穴はイスラエル人がエジプトから紅海に道で逃げたシンボルだ。

フィンランド人の建築家は建物を計画した。グラスの壁にラテン語とヘブライ語で「ポリン」がある。それは博物館の名前でも、ヘブライ語で「ポーランド」だ。「ポーランド」の意味でも、「ここに休める」の意味もある。昔、ヨーロッパで戦争が多かって、宗教戦争もあった。だからポーランドの言葉はユダヤ人に縁起が良い言葉だった。昔、ポーランドには宗教が色々で多かった。寛容な人だった。だからポーランドはユダヤ人に暮らしていい国だった。ユダヤ人の人口は16代に世界にポーランドが80パーセントあった。

博物館のインタネットページだ。残念でも英語だけだ。


czwartek, 21 lipca 2016

ゲットーの英雄の記念碑

その記念碑がある所にはワルシャワ・ゲットーの蜂起が始まり(1943年四月)、そこでユダヤ人の蜂起者が戦った。軍隊の刑務所は1918年から記念碑の前に広場の西側にある建物の中にあった。それは1942年八月から戦争の終わりまでにユダヤ人評議会だった。ユダヤ評議会はは、ナチス・ドイツ占領下の東ヨーロッパに設置されたゲットーの運営を任されていたユダヤ人による「自治組織」である。同じくドイツ占領下であってもゲットーが設置されなかった西ヨーロッパには創設されなかった。ただし例外的にオランダにはユダヤ人評議会が置かれた。

その所には戦争後にゲットーの蜂起の墓を象徴した。

ユダヤ人の中央委員会は最初のワルシャワ・ゲットー記念碑を建てたかった。レオン・スジン(Leon Suzin)を計画して、記念碑が1946年四月16日に示された。記念碑は部分が二つある。一番目はまるい板だ。その板にポーランド語やヘブライ語やイディッシュ語で「ユダヤ人の尊厳と自由とか自由なポーランドとか人々を自由になるために戦いに亡くなったポーランドのユダヤ人に(作った記念碑)」と書いた。赤色の石は血のシンボルだ。まるい板は地下水道の入口のシンボルだ。

その板の前にほかの大きな板がある。その板の上にヤシの葉の彫刻がある。ヤシの葉は殉死のシンボルだ。葉のそばにBの字がある。Bはイディッシュ語で「berejszys」とヘブライ語で「berejszit」の言葉の前にある字だ。トーラーの創世記が始まり、言葉だ。

1946年にも二番目の記念碑を建てる予定があった。1946年七月に記念碑を建てる委員会があって、委員会にはアドルフ・ベルマン(Adolf Berman)とイッチャク・ズキェルマン(Icchak Cukierman)とベルナード・ファルク(Bernard Falk)がいた。ナタン・ラパポルトと言った彫刻家が計画した。記念碑を作ることが1947年に始めた。

1948年四月19日にワルシャワ・ゲットー蜂起の記念が五回あって、記念碑を見せられた。


記念碑の前にある黒い大理石の板にポーランド語とかヘブライ語とかイディッシュ語で「ユダヤ国家から殉教者と蜂起者のために」と言う文がある。

1970年十二月17日にヴィリー・ブラントと言うドイツの首相がポーランドにきて、この所に来てから、ひざまずいた。

1969年の連邦議会選挙でSPDは勝利、ブラントはドイツ社会民主党・自由民主党の連立政権を誕生させ、西ドイツで初めてのドイツ社会民主党出身の連邦首相となる。

連邦首相として東ドイツやソ連を始めとする共産主義諸国との関係改善を推し進める「東方外交」を展開した。1970年には訪問先のポーランドの首都ワルシャワで、ユダヤ人ゲットー跡地で跪いて献花し、ナチス・ドイツ時代のユダヤ人虐殺について謝罪の意を表した(ワルシャワでの跪き、なおブラントの回想録では当日のポーランド側の反応について「私は、ポーランド側を困惑させたようだ。あの日、ポーランド政府の誰も、それについて私に話しかけなかった」とされている)。同年、エアフルトで東ドイツのヴィリー・シュトフ首相・国家評議会副議長と会談し、初の東西ドイツ首脳会談を実現した。これらの功績により1971年にはノーベル平和賞を受賞した。



ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)は1983年六月18日に亡くなったユダヤ人のために祈った。
マレク・エデルマンの葬式は2009年十月9日にその所に行った。

記念碑の西側には2013年からポーランドのユダヤ人の歴史の博物館がある。